安倍文殊は素晴らしかった。
　阿倍仲麻呂が建立して、安倍晴明がここで生まれたんだって。金閣浮御堂がいいね。池に浮かぶ御堂がいい。古墳もあるんだ。いいなあ。荒んだ気持ちの山田もすっかり心が和んだ。
　すっかり堪能した。拝観料はけっこう高いが、まあいいや。とにかく、見るのと聞くのはまた別ものだ。
「いいなあ、ここは。みんなと来たかったなあ。まあ、また機会があるだろう」
　二人は夕方まで文殊を散策した。

　麻生は念願の安倍文殊へ行くことができて、すっかりうれしくなり、勧められるままにビールを飲み、楽しんだのだった。　
　そしてぐっすり寝込んでしまった。山田は付近の情況をさぐり、夜なかに忍び込む方法を模索するのだった。
　それから山田は眠りこんだ麻生を車に乗せて、そこから、天川村へと向かった。人目につかない静かな場所を選んだのだ。いったん、橿原市まで行き、下市町を経て、国道３０９を天川村へと行くのだ。けっこう距離はあるが、できるだけ人目につかない、田舎道を選んだのだ。天川村に近づいたころ、国道のトンネルの手前に脇道がたくさんある。この脇道はいまや、ほとんど使われていない。一時間半ほどで到着した。そしていまはきれいに拡幅された国道から離れた、山の中の淋しい旧道で、すっかり眠りこんだ麻生を難なく排除したのであった。 

　そして山田は、麻生をトランクに押し込み、天河神社へと向かった。
　夜遅く、安倍文殊へ行く必要があるのだ。少し時間を稼ぐ必要があったのだ。
　天河大弁才天の駐車場に車を突っ込み、天河神社を散策した。
　ここには大きな三連の鈴が飾ってある。いいね、この鈴は。
お土産用に小さな鈴を売っている。
　ここは芸能の神様なのだ。いいね、この雰囲気は。近くの川がきれいだ。
いい雰囲気だよ。この辺は天の川なんだって。へえ、そんな雰囲気はするよ。少し歩くと、禊殿がある。
いいね、ここも。かなり以前に天河殺人事件として映画化された時の舞台だ。
ロケの時は神社は改修中だったのだ。山と川と橋がいいコントラストをなしている。
　そして山田は、時間を見計らって、ふたたび安倍文殊へと向かったのであった。

　安倍文殊へ戻ったのは夜の十時過ぎだった。
　真夜中になった。駐車場には車もいない。境内へ通じる通路は閉ざされている。
　山田は麻生を駐車場の端っこに遺棄して去ったのだった。本当は池の中に遺棄したかったのだが、監視カメラを心配して駐車場の端っこにしたのだった。
　そこからとりあえず奈良市方面へ行く。

近くの道路端の道の駅の駐車場で、枝野に電話した。
「枝野さん、ＯＫです、すべて順調に終了しましたよ」
「よくやった。いいか、今後の予定を言うよ。覚えておいてな。明日、京都駅前でレンタカーを返却しろ。その足で大津へ向かえ。京都駅から湖西線に乗って唐崎という駅で降りろ。
　駅前の公園で待っていろ。ここは近江八景の唐崎の松が有名なところだ。そこで夕方、四時ごろ待っていろ。俺も忙しいんで、時間が取れないんだ。早くはいけないんだ。
　それまで京都市内でもぶらぶらして時間をつぶせ。京都から唐崎までは三十分もかからない。
　わかったな。そこで唐崎の一本松を眺めながら、一杯飲みながら一休みし、今後のことを相談しよう」
「わかりました、四時ごろ唐崎駅前で待ってます」