プロローグ 

　２００＊年の夏のある日の出来事だった。
　ここは奈良県桜井市の安倍の文殊堂。
　６４５年（大化元年）に安倍一族の氏寺として創建された寺院だ。
　華厳宗東大寺の別格本山。日本三文殊の第一霊場、「大和安倍の文殊さん」として名高い。
　院の中程には湧水があり、閼伽水と呼ばれている。　コスモスの花が有名で、浮御堂を背景に風に揺れる可憐な花が眺められる。　春は春咲きコスモスが咲き乱れ、秋には３０種以上のコスモスで作られた迷路が楽しめる。
　安倍文殊院・金閣浮御堂は安倍一族をお祭りするため、昭和60年に総金色仕上げの金閣浮御堂が完成。堂内には安倍仲麻呂像、安倍晴明像をはじめ、ご本尊に開運弁才天、厄除け守護の九曜星の神々、方位災難除けの十二天御尊軸が安置されています。また参拝者が厄災を祓うための「七まいり」をする修行場としても公開されている。
　観光地としても有名。文殊菩薩を信仰する人にとっては聖地のひとつだ。
　三大文殊の一つに数えられているのだ。
　そして、ここ、文殊堂の中で起きた事件から、この物語は始まるのだった

　夏のある真夜中、安倍の文殊院の駐車場の入口に一台の車がそっとエンジンをしぼって静かに入ってきて、入口をふさぐようにとまった。
　周囲は住宅地に囲まれ、マンションなども多数ある。とても、安倍一族の氏寺とは思えない。まあ、観光地化してしまっているのだろう。遠い先祖がどうおもっているのだろうか。
　この時間は拝観時間はとっくに終わっていて、駐車場の売店も閉まり、人っ子ひとりとしていない。
　駐車場には車もいない。境内へ通じる通路は閉ざされている。
　男が一人、静かに降りてきて、トランクを開き、ぐったりした男を引きずり出した。
　そして、入口のチェーンを乗り越えて、駐車場へ引きずっていく。どうやら死んでいるようだ。駐車場の隅に死体を置き、そそくさと車に戻り、大きくひと息ついて、そのまま立ち去った。 

　＊

 翌朝、営業の準備に出勤した売店の主人だった。
「おはよう、今日もいい天気だね。まあ、今日もよろしく」
　掃除をする主人に、声をかけてきたのは住職だった。毎日、開門の前に境内を視察するのが習慣なのだ。
　二人して、周囲を視察するのだった。
　その時、主人が、駐車場の隅っこで、異様なものを見つけた。
「あれ、駐車場の隅っこになんかありますよ」
「なんだい、これは。おい、人が死んでるぜ」
　駐車場の隅っこで死体を発見したのだった。驚いて警察に通報した。

「大変です、浮御堂の駐車場の脇で、人が死んでるみたいです、すぐ来てください」
　通報を受けた桜井署と救急車がやって来た。一目見て死んでいるのを確認した救急隊員は、警察と相談して死体解剖に付すように進言したのだった。
　文殊院で死んだ男から睡眠薬とアルコールが検出され、死因は絞殺だった。

県警と桜井署は殺人事件として捜査を開始した。
警察の捜査の結果、文殊院の被害者は、所持品から東京の《噂の情報》という情報誌の社長、麻生一郎だということが判明した。さっそく、東京の自宅と会社に連絡した。
　びっくりしてやって来た男の妻は、涙を流しながら、本人と確認した。一緒に来た経理の河野と専務の枝野によると、前日は業界の用事で名古屋に行っていたそうだ。
　名古屋へ行っていた麻生が、なぜ、桜井市の文殊で亡くなったのか、よくわからないとのことだった。
　目撃者もなく、文殊へ来た意味も分からず、たちまち捜査は行き詰ったのだ。
　《噂の情報》の社長が殺人事件の被害者ということで、桜井署にはかなりのマスコミが集中した。警察の発表には満足しない彼らだった。なんせ、結構なネタになるのだから。